本質として物事に対して善悪の意味は初めから存在していない。
あるのは、自分がその物をどう捉えたか?
自分とその物との関係性でしかない。
「善悪はない」 のです。
人は常に意味づけをしています。無意識のうちに。
そしてそれが ” 常識 ” だったり、” 当たり前 ” なんていう見えない ” 鎖 ” になって身動きが取れません。
それはいけないことだから。
迷惑だから。
やってはいけないことだから。
自分や他人の健康や生死に関わることなら、それに従う他ないのですが、私たちは日々些細なことにこの善悪の判断を必要以上に求めているように感じます。
自分で自分の身動きを取れなくしている。
変わらないことを決心して、愚痴を言っている。
善悪の判断は客観的に物事を捉えているように感じているけれど、実際はどこまでいってもそれは自分の世界観の一部でしかないこと。
結局は、善悪の基準は自分の知識・経験によるものでしかないということなんです。
恐いですね。
善悪を気にしすぎて、躊躇して出来ないことってありますか?
もしかすると、それをしてみても誰の迷惑にもならないかもしれません。
幸せになれる方法は意外と簡単なのかもしれませんね。
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