自分というものが無限である理由



思っているよりも大きなフィールドに立っていることに気づく。



肉体という限られたスペースが限界だと信じていたら見えない世界を垣間見ることができる。



どこにも輪郭はなくて区別する意識しか本当は存在していないのに。

その定義付けは自分自身でなされたものなのに。



好き好んで入り込む猫のように

(あまりにかわゆい♡ので拝借いたしました。)



それが好きならそれで良い。

それで満足ならそれで良い。

そこで充分ならそれで♡




でも、満足しているかどうかもわからないで、「仕方がない」や「常識的に考えて妥当」だなんて安直な答えを出しているなら少し疑ってみる時間も大切じゃないかな・・・♡と。




境界線はなくて、輪郭すらないのに定義付けしているのは、どこの誰だかわからない偉い人なんかじゃなくて

自分だということに早く気づけばとても心地よい場所に今すぐ変われる♡




私は絵を描くのですが、絵を描く時に輪郭線を描いてはいけないと習ったことがあります。

子供の頃の私はそれが理解できませんでした。そして輪郭線なしに表現する術も。



でも、今朝ふと気づいたんです。

輪郭線は幻だってことに。

そしてその定義はあやふやで個別に無数存在していて、どれが正しいではなく

その人によって採用している定義が適用されているのならすべて正しいと。




なんだか不思議さんなひとりごとでしたね♡




でも、すっごく大きなヒントを得られたような素敵な朝でした♡

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