自分で生きる覚悟がない

空気を読む

気持ちを汲み取る

曖昧で幅をもたせた発言(表現)をする



多分、日本人にとっての奥ゆかしさ、心遣いでしょう。



私も日本人として誇りに思う思想です♡






けれどこの思想には素晴らしい反面、デメリットがあります。







それは、表現の曖昧さの中に

責任の所在の曖昧さが隠れていること





自分が決めて起こった事柄について予期せぬことが発生した瞬間、人は無意識のうちに

予想通りでない現実に不満を抱き、暗に責任逃れをしようとします。

それは自己防衛だったり、自己肯定だったりします。

自分を守るため、自分の価値を引き下げないための行動はもちろん大切なことです。

だから、卑下するのはとても惜しいことです。

誤った認識で自分自身を判断してしまったら、自分にとっても、世界にとっても大きな損失になってしまいます。



確認するのは責任の所在だけ。

必要以上に責めて、何かが変わるのかな?






だって、1秒先の未来はだれにも予見できません。

どう転ぶかなんてわかりません。

災い転じて福となすです。



参考記事(お決まりですね♡)




今、未来を変える権限はあなたにあります。

選んだのは紛れもなく自分自身。

責任は自分にあります。



些細な事柄も  人生が大きく転換する事柄も。

全ては自分の責任があります。




参考記事(これもお決まりですね♡)






責任の所在をはっきり認めた上で、振り返り進んでいかなければ、嘘を塗りたくった道を歩くことになります。



言い逃れ出来たつもりでも

責任逃れ出来たつもりでも 

その行動が示すものは、本質的に 自分が自分を認めていないことになる







責任がないことは

自分で選んで 自分で生きる覚悟がないこと

■お問い合わせは、こちらまでお願いします。 


0コメント

  • 1000 / 1000